二本の直線が交じり合うような出会い?
こんにちは。mariadaです。
3月は卒業や退職、移動などがあり、お別れの時期ですね。
4月からの新生活へ向けて期待があるものの、別れはいつだって悲しいもの。。。
「別れ」といえば、以前とても悲しい別れをしたことがあり、丸2年間その思いを引きずったことがありました。
来る日も来る日も泣いてばかり、、、
あれから何年たったんだろう?
今でもその頃のことを思うと胸が痛くなることがありますが、村上春樹さんの本でその想いがだいぶ救われました☟
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こちらは【女のいない男たち】以来6年ぶりとなる村上春樹さんの短編小説です。
余談ですが【女のいない男たち】の「ドライブマイカー」が原作となっている映画が、昨日アカデミー賞を受賞して話題になっていますね。
素晴らしい快挙です!
今日紹介したいのは【一人称単数】のなかの「石のまくらに」という作品ですが、こちらも「ドライブマイカー」同様、村上ワールド全開の素敵な作品です。
「僕」がたまたま一夜を共にした「彼女」について語っている話で、私は村上春樹さんのこんな言い回しが大好きです☟
しかしとにかく僕は、彼女がまだこの世界のどこかにいることを心の隅で願っている。生き延びていてほしい、そして今でも歌を詠み続けていてくれればと、ふと思うことがある。どうしてだろう?どうしてそんなことをわざわざ考えたりするのだろう?この世界で僕の存在と彼女の存在とを結びつけているものなんて、実際には何ひとつないというのに。たとえどこかの通りですれ違ったとしても、あるいは食堂のテーブルで隣り合わせたとしても、互いの顔を認める可能性なんて(おそらくは)まったくないというのに。僕らは二本の直線が交じり合うように、ある地点でいっときの出会いを持ち、そのまま離れていったのだ。あれから長い歳月が過ぎ去ってしまった。ずいぶん不思議なことだが(あるいはさして不思議なことではないのかもしれないけれど)、瞬く間に人は老いてしまう。僕らの身体は後戻りすることなく刻一刻、滅びへと向かっていく。目を閉じ、しばらくしてもう一度目を開けたとき、多くのものが既に消え去っていることがわかる。夜半の強い風に吹かれて、それらは—決まった名前を持つものも持たないものも—痕跡ひとつ残さずにどこかに吹き飛ばされてしまったのだ。あとに残されているのはささやかな記憶だけだ。いや、記憶だってそれほどあてにはなるものではない。僕らの身にそのときに本当に何が起こったのか、そんなことが誰に明確に断言できよう?
誰かと出合いそして別れる、ということがこの一文に集約されているような気がしました。
「本当」に私たちは二本の直線が交じり合うように、ある地点でいっときの出会いを持ち、そのまま離れていったのです。
そして瞬く間に人は老いてしまい、私達の身にその時「本当」に何が起こったのか、明確には断言できないのです。
こんなふうに思えた時、悲しい別れがやっと癒された気がしました。
悲しい別れは辛いものですが、今後もこんなふうに考えてサラッとその辛さを乗り越えていけたらいいな、と思っています(*'▽')
【今日のGracias】
今日、もうすぐお別れとなってしまう職場の方からプレゼントをいただきました。今までにもたくさんのプレゼントをいただいて、たくさんお世話になった大好きな看護師さん。心からの感謝を、ありがとうございます。