Kimamariko

毎日を体調良くご機嫌に過ごすためにアンチエイジング🎶

また入院。

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病を味わう心?

こんにちは。mariadaです。

昨日、母がまた入院しました。

火曜日に母から「足がすごくむくんじゃって…」と電話があったので、今月末だった診察予約を早めて診てもらってね、と伝えた矢先、昨日苦しくなって救急車を呼んで病院に運ばれたとのこと。

連絡をもらい急いで病院に行ってみたら足も顔もパンパンで、酸素を吸っているのに苦しそう、、、

何度も繰り返している心不全の悪化です。

先月退院したばかりなのにまた病院へ舞い戻り、今日主治医である先生にも自分から「また来ちゃいました」と言ったそう。

心不全増悪による再入院は主に「塩分、水分制限の不徹底」とのこと。

自分ではやっているつもりでも、80歳で一人暮らしの母にはやはり難しいのかもしれません。

でも、入院すると症状はすぐによくなり元気になる母。

元気というのは大袈裟かもしれないけれど、先ほどの電話での会話からは何でもない様子。

家からあれこれ持ってきて、と頼めるくらいしっかりしているし、デラックスの個室に入って「ずっとここに居たいんだけど。」なんて言っている。

前回も前々回の入院の時も思ったけれど、母は寂しくて具合を悪くしているんじゃないかと・・・

入院すれば、子供たちはみんな心配してくれるし、病院にいれば看護師さんも先生もみんな優しい。

よく子供がお母さんにかまってほしくて仮病を使うのと似ているような。。。

これは「老いて二度児になる」ということわざのごとく、人は年を取ると理解力や判断力が衰えてまた子供のようになる、老いては愚にかえる、というものなのかな?

そして、一人暮らしでどこにも行かずに「孤独」でいることに耐え切れず、みんなに心配してもらい優しくしてもらいたい一心で、その気持ちが病気という形で現れているような気もしてならない。

実際に「孤独」はタバコと同じくらい体に悪いというデータもあるそうです。

孤独感、社会からの孤立、一人暮らし、などはどれも30%前後の確率で死亡率を上げてしまうとのこと。

これは肥満の死亡リスクとも同じだそうです。

人間というのは社会的な動物なので、他人とのコミュニケーションが築けていないと、心だけではなく体も病んでしまうということ。

そんな話をきくと母の病気はまさしく「孤独」が引き起こしているモノかもしれない、という思いが強くなってきます。

私に何ができるかな、、、と考えたところで何も出来ないのだけれど、久しぶりに開いた松下幸之助氏の「道をひらく」で病を考えさせられました☟

病を味わう

病気になってそれがなおって、なおって息災を喜ぶうちにまた病気になって、ともかくも一切病気なしの人生というものは、なかなか望みえない。軽重のちがいはあれ、人はその一生に何回か病の床に臥すのである。

五回の人もあろう。十回の人もあろう。あるいは二十回、三十回の人もあるかもしれない。親の心配に包まれた幼い時の病から、不安と焦燥に悶々とする明け暮れに至るまで、人はいくたびか病の峠を越えてゆく。

だがしかし、人間にとって所詮死は一回。あとにも先にも一回きり。とすれば、何回病気をしようとも、死につながる病というのも一回きり。あとの何回かは、これもまた人生の一つの試練と観じられようか。

いつの時の病が死につながるのか、それは寿命にまかすとして、こんどの病もまた人生の一つの試練なりと観ずれば、そこにまたおのずから心ひらけ、医薬の効果も、さらにこれが生かされて、回復の道も早まるであろう。

病を味わう心を養いたいのである。そして病を大事に大切に養いたいのである。

最近は特にアンチエイジングに取り組む中で、「とにかく病気をしないこと」を考えていたけれど、確かに一生のうちで病気にならないことなんてあり得ない。

病気になったからこそ、病気の人の気持ちが分かったり、色んなことに感謝の気持ちが湧いてくることもある。

母の病気も味わいながら、この病気を大事に大切に養うことなら私にもできるかもしれない(*'▽')

 

【今日のGracias】
母の足のむくみに!と買った足裏マッサージのフットローラーが昨日届いたけれど、母が入院してしまったので、自分で使ってみたらなかなか気持ちいい🎶血行がけっこう良くなるかも
(*´▽`*)