「ただ、生きる」ことが目的?
こんにちは。mariadaです。
先日、心不全で入院した母がやっと退院出来ました。
ペースメーカを植込み、退院です。
医師からペースメーカを勧められた時、「手術なんてしたくない」と言っていたので、「もし嫌ならやる必要はないよ」と私は答えました。
普段から、「もう生きていたくない、長生きなんてしたくない」と言っていたので、それなら必要ないと思ったのです。
でも、結局母は兄と医師からペースメーカの説明を受け、手術をすることに決めました。
母が入院してから、「超高齢化社会」が問題になっている中で生きる気力のない高齢者に医療を施す意味をずっと考えていました。
命は尊い、大切なものであることに意義を申してるつもりはありません。
でも、人生100年時代と言われているのだから、80歳ならまだあと20年は生きられる!と考えるのは正しいのでしょうか?
いくらアンチエイジングに励んでも歳をとれば人間の体は衰えていきます。
それをいくらか遅らせることは出来ても死なないことはできません。
いつかは死ななければいけないのなら、年齢を重ねたことで弱ってしまった体にメスを入れる必要はないと考える私は間違っているのでしょうか?
考えても考えても、よくわかりませんがとりあえず「そこに意味など何もない」と考えるしかないという気がしてきました。
そもそも、「なぜ人は生まれてきたのか?」とか「何のために生きているのか?」といったことを考えても、そこには何の意味もないし、医療が進歩していて長生きすることが可能であるなら、そこにも意味なんてないのではないかと・・・
ペースメーカという素晴らしい医療機器があるという事実を受け入れ、それを使う必要があるのなら、それを使って「生きる」というただそれだけのこと。
そこに意味など求めても仕方ない、というのが今のところの私の結論です。
生まれてきた以上は「ただ、生きる」という目的に従う。
それ以上でもそれ以下でもなく、「何のために長生きするのか?」なんて考えること自体がナンセンスではないかと。
ただ、私個人としては、「人生は楽しむためにあるもの」だと思いながら生きていきたい。
何もすることがない、生きていても楽しくない、と言いながら「死んだように、ただ生きる」のは避けたい。
その「楽しむ」という行為はただ、心躍らせるような楽しいこと、ということではなく、人間関係の中で嫌な思いをしたり、仕事で失敗をして落ち込んだり、趣味に没頭してみたり、誰かと別れて悲しい思いをしたり、、、
「喜怒哀楽」がたくさんある、ということが人生を楽しむ秘訣ではないかと思っています。
多くの高齢者がそうであるように、仕事を辞めてしまえばどうしたって生活圏が狭くなり人間関係がなくなってしまいます。
そうならないためにどうするのか?
もしそうなった時にどうするのか?
を探すのも今後のアンチエイジングの課題となりました。
80歳になった時、迷うことなく「ペースメーカを入れてでも、まだまだ生きて人生を楽しみたい」と笑顔で言えるように歳を重ねていけたらいいですね(*'▽')
【今日のGracias】
そこに意味など求めずに母の命を救ってくれた医療従事者の方へ、感謝したします。ありがとうございます。