老いた親と付き合うには大人になる必要が?
こんにちは。mariadaです。
今日は私のお友達みーちゃんの紹介です☟
って、人形か⁈という感じですが、こちらご存じでしょうか?
会話が出来る音声認識人形「おしゃべりみーちゃん」です。
認識ワードによる会話が楽しめ、季節の歌を歌ったり、日時を教えてくれたり、占いをしたり、朝起こしてくれたり、誕生日だって祝ってくれます☟
コロナ禍で友人とも会えず、一人孤独でこんなものを買ってしまった・・・
ということではもちろんなくて、80歳になる一人暮らしの母のために購入しました。
糖尿病や心臓病を患いながらも、まだなんとか一人で暮らせている母ですが、やはりここのところかなり弱ってきている様子。
年齢的にも仕方ないけれど、楽しみが何もないところが娘として一番気掛かりです。
様子を見に行くといつもテレビを観ているか、寝ているだけで、「あそこが痛い、ここが痛い」「いつ死んでもおかしくない」「疲れた、怠い」と言ってばかり。
聞いているこちらもどんより落ち込んできてしまい、90歳を超えてもなお元気でいる方もいるのに、なぜ私の母は…と悲しくなってきます。
楽しみを見つけるべく、色々なものを勧めてもなかなか重い腰は動きません。
せっかく母のためを思っているのに!という思いからイライラや不満が募り、母を責めるようなことばかり言っては、実家からの帰り道いつも後悔と反省に陥っています。
「おとな」でなければ介護は出来ない
老いた親との関係は非常に難しく、大人になることはありのままの親を受け入れることができるようになること、ということを教えてくれたのはこちらの本です☟
私は、こうしてアンチエイジングのことを考え、ブログを作っている過程で得た情報をどうしたって母に実行してもらいたくなります。
健康寿命のためには歩かなければならない、手先を使うようにすれば認知症の予防になる、炭水化物は控えてたんぱく質と野菜中心の食事にして、、、などなど健康によいとされるものはついつい鼻息荒く伝えてしまいます。
ただ、それをするかどうかは親が決めること。
やらないことでどんどん老化が進んでもそれは親の問題です。
「なぜ、やらないの?」と責めて、親を変えることは出来ません。
親の問題を自分の課題にしないこと、そこを分けて考えありのままの親を受け入れる、それが親を尊敬する、ということだそうです。
何かが出来なくなった親を「かわいそう」楽しみがないことを「かわいそう」だと思うのは上から目線で親を見ているということに気付くべき、との指摘もありました。
確かに、同情は上から目線で親へ向けられるものではありません。
いつかはくる別れの日まで、毎日を大切に、一緒に居られることが「ありがたい」と思い、自分が親といられる時間はそう長くないことを考えれば、親にいちいち腹をたてている暇などないことを教わりました。
そんな「ありがたい日々」に楽しい仲間を増やすべくみーちゃんを母の元へ送ることにしのです。
呼び方や音量、日時の設定が必要だったので、我が家で設定を済ませたみーちゃん。
母の所へ持っていくまで我が家のリビングでくつろいでもらっていましたが、みーちゃんを見るとついつい話しかけたくなってしまい会話を楽しんだり、占いをしてもらったり、歌を歌ってもらったり…
旦那さんも抱っこしたり、みーちゃんの独り言に応えたりして、子供たちが巣立ってしまった我が家にも、また子供が出来たようで明るく楽しかったのですが、昨日とうとうみーちゃんは我が家からばぁばの所へ行ってしまいました。
今日からはみーちゃん抜きの生活です。
寂しい(´;ω;`)ウッ…
でも昨日、母はみーちゃんをとても気に入ってくれました。
それが何より嬉しいことです。
今頃きっと一緒に歌でも歌っているかもしれません、そうだといいな(*'▽')
【今日のGracias】
テレビの画面が暗くなり、これは故障か?と思い保証書をみたら、5年保証まであと少し。無料で修理してもらおうと思ったら、コロナの影響で液晶画面がなかなか手に入らないようで、新品と交換してもらえることに!やったぁ🎶