過去からの贈り物?
こんにちは。mariadaです。
先日、実家の母の所に1本の電話がありました。
私の小学生の頃の担任だった先生からの電話です!
家の掃除をしていたら、私の文集が出てきたので返しに行きたい、とのこと。
若干、認知機能も衰えてきている母は誰からの電話かもよくわからず、その真意の理解に苦しみ、
「そんなものは返してくれなくてもいいので」と断ったそうですが、どうしても返したいとのこと。
「では、送ってください」と言うと、
「どうしても家に届けに行きたい」と返され、
「いやいや、結構です」
というその押し問答が何度か続き、結局「届けに行きます」ということで話が終わったそうです。
それを聞いた私は新手の「オレオレ詐欺」か?
と思いましたが、その先生のお名前は確かに合っているし(よくある名前ではなく、少し珍しいお名前)さすがに「文集が欲しければ100万円!」ということにはならないだろうと、母が先生が来るのを待つこととなりました。
そして今月22日、本当に先生が文集を持って実家に来たそうです。
そんなことって本当にあるのか母の電話の話だけでは信じられず、全てが母の妄想だったら、かなり認知が進んでいて大変だな…という考えと、
もし本当なら、先生がなぜ今更その文集をわざわざ家にまで届けに来たかったのか?という謎を早く解明したく、昨日、文集を受け取りに実家に行って来ました。
本当にびっくりですが、実家には本当に私の文集が手土産と数枚の写真とお手紙を添えられて存在していました。
詐欺なのか、母のボケなのかと疑ってかかっていた自分を反省しながら文集とお手紙をじっくりと読ませていただきました☟
こんな文集を作った覚えは全くなく、書いてある内容に覚えもありませんが、裏にはしっかりと私の名前が記入してあり、私のものであるのは疑いようがありません。
読書感想文や夏休み、冬休みの思い出、学期ごとの反省や感じたこと、詩などかなりの量の作文がはさまっています。
そして、達筆で書かれた先生のお手紙には、
私の卒業と同年に他校へ転任しその後5校を経て退職を迎えたこと、
今77歳であること、
少しずつ身辺整理をしている中で私の文集をみつけたこと、
他の人の文集は全然見つからず、なぜそれが手元に残っているのか全く記憶にないこと、
ただ思い当たるのは、私を含めた5、6人のグループに先生が頭を悩ませ、私の文集を手がかかりにその問題を解決しようとしていたのではないかと・・・
私の文集を見つけたことで、そんなことを思い出し改めて文集を読み返したこと、
そこで分かったことは、自分の指導が全く不十分であったこと、皆の気持ちが汲み取れなかったこと、それは不十分というよりは出来なかったのだ、というようなことが綴られていました。
私の文集なんかで、先生が自分の指導を後悔することになってしまったのかと申し訳なく、涙がこぼれました。
先生が言っている問題について、もちろん私には思い当たるふしがあり、それは私の中でも最も恥ずべき後悔となっています。
この文集が今手元に戻ってきたのは何か啓示的なものか?とさえ思えてきますが、それはこれから一つずつゆっくりと紐解いていこうと思います。
それにしても、文集は過去からの素敵な贈り物になりました。
かなり笑える部分もあり「1学期の反省」ではこんなことが書かれていました。
授業中、私はおもしろくないとすぐにあくびをして、ノートに落書きをしてしまいます。ほかにもっと悪いのは人に消しゴムのカスをあてるのです。
はっ!?
消しゴムのカス?
人に当てるってどうやって?
細かいし当てようにも飛ばないじゃん。
しかも、「消しゴム」より、「カス」の方がタチが悪くないですか?
だって消しゴムなら「痛い」で済むけど、カスって散らかるし、洋服とか髪に着いたらなかなかとれないよね?
って私はそんなことするような子供だったっけ?(;・∀・)
私は大人しくて美しいクラスのマドンナ的な存在のはずですけど。
・・・完全なる記憶の改竄・・・
あっ、思い出した!
落書きを消した後の大量の消しゴムカスを丸めて遊んでた!
それを後ろから男子に向かって投げてたんだ!
(-_-メ)
先生、、、こんな生徒に頭を悩ませていたんですね・・・
ごめんなさい。
昨日は母の前でかしこまって先生に電話するのが恥ずかしかった(中二病か⁉︎)ので、これから先生にお礼の電話をしようと思います(*'▽')
【今日のGracias】
36年ぶりに帰ってきた文集は昔も今も全然変わらない私が私であることを証明してくれました。変わっていくことは素晴らしいけれど、変わらない自分でいられることも素敵ですよね。