好きだったもの、必要だと思っていたものも案外不要かも?
こんにちは。mariadaです。
なぜだか分からずに好きなモノ。
それはカレンダー。
よく分からないけれど私はカレンダーが大好きです。
毎年10月くらいから各部屋にどんなカレンダーを飾るのか、探すのが楽しみ。
トイレにも洗面所にもキッチンにも寝室にも、今は使っていない子供部屋だった部屋にも、カレンダーはどこの部屋にもあります。
家を建てて25年以上ずっと当たり前のようにあったカレンダー。
でも、断捨離でかなりスッキリした我が家にはカレンダーの存在が少しうるさく感じてきました。
ふと、「そんなに必要ないんじゃないか?」という気がして外してみることに。
なくなってはさぞかし不便だろうと思い捨てる勇気はなかったのですが、思っていた以上にスッキリ!
見ていたのは日付ではなく、カレンダーに添えられている絵や写真だけのよう。
月初め、どんな素敵な絵や写真が現れるのかを楽しみにカレンダーをめくっていたけれど、すっきり感の方が大きいみたい。
ミニマリストってホントに凄いな!と改めて実感。
気に入るカレンダーを見つけるのはけっこう大変だったので、その手間が省けたことにホッとしたりしてます。
こうして、好きなモノでも手放してしまえば、時間や手間が省けるんですね。
いつも紹介している ❝ ぼくたちに、もうモノは必要ない。❞に書かれている「モノが発する沈黙のメッセージ」に書かれているこちらの部分が面白くて大好きなのでご紹介。
モノを減らすと、集中力が高まる。これはなぜだろうか?
モノは、ただ黙って置かれているわけではない。置かれたモノはメッセ―ジを発している。特に大切に扱われていないモノほどそのメッセージは強い。
途中で放り出した英会話の教材があれば「・・・暇そうだね。そろそろ、ぼくにもう1回挑戦してみたらどう?」。切れたままの電球があれば「また買うの忘れたのか、こんな簡単なことができないなんて・・・」。溜まった洗い物の皿なら「またこれか・・・もうお前には期待しないからな」。
普通に使っているモノからもメッセージは発せられる。テレビからは「録画した番組、溜まってますよ。あとそろそろ、ホコリを払ってくれてもいい頃じゃないかと」。パソコンがあれば、「お友達のプリンターが欲しいな…いや、なんでもないです」。ボディソープからは「えー、そろそろ切れそうでっす!」。シーツからは「お忙しいところすみません、ぼくも一緒に洗濯してもらってもいいですか?」
どんなものでも大切に扱ってもらいたがっている。あなたがちゃんと相手にしてくれ、メッセージを受け入れてくれるのを、列をなして順番を待っているのだ。
確かにうちにあるカレンダーからは、
「えーっと、ぼくの絵や写真ばかり見てないで、毎日日付を確認してくれませんか?」とか 「絵や写真すら見ていない時もありますよね、端っこのほうの紙が湿気でめくれてきちゃったんですけど・・・」とか、10月になると「そろそろ来年のカレンダーを探さないと気に入るカレンダーを見つけられなくなりますよ、でもぼくだって12月までは働きたいから、10月とか11月始まりのカレンダーとか買わないで下さいね」とか言われていたような気がする・・・(;´∀`)
そんなメッセージを放っていた家じゅうにあったカレンダー。
少し寂しくなるけれど、捨てることに!
日付を確認したい時はいつもスマホだったし。
家じゅうにカレンダーがありながら「今日何日だっけ?」は私の口グセだったし・・・
カレンダーを買うためのお金を今年は何に使おうかな(*'▽')