Kimamariko

毎日を体調良くご機嫌に過ごすためにアンチエイジング🎶

父の日、幸せについて考える。

こんにちは。mariadaです。

今日は父の日。

私の父は7年前に73歳で他界しました。

普段、あまり父のことを思い出すことはないのですが、せっかくなので今日は父のことを思い出して、この場に書き記しておこうと思います。

と言っても、悲しいことに父に関していい思い出など一つもありません。

父とは普通に話したことがないのです。

父は子供を可愛がるようなタイプではなく、お酒を飲むと暴れるような人でした。

子供に手を上げることはなかったのですが、飲みすぎてよく母を殴っていました。

だからと言ってラリーマンの父は仕事を休んだりはしないし、お給料も母に任せていたので、それほど酷い家庭ではなかったと言えるのかもしれません。

ただ幼い頃、お酒を飲む父に私はいつも怯えていました。

飲みすぎて暴れ出し、大きな食器棚を倒したり椅子を投げてお風呂場のドアを壊したりするのを見て震えていたのを今でもよく覚えています。

昔で言う「ちゃぶ台をひっくり返す」なんてこともしょっちゅうでした。

夜中に家を追い出されてしまうこともよくあったし、よく分からないことで夜中に何時間も説教をさせられ、眠いのに寝られない日もありました。

そんな子供時代を過ごした私は父とどう接していいのか分からないまま大人になり、最後まで父と普通に会話することなく父とお別れしました。

今思い出しても、辛い辛い子供時代だったと思います。

よく、「子供は親を選べない」と言いますが私は子供の頃、本当の親はどこか他にいるはずで、そこには温かいお料理と優しい両親がいていつしかその家庭に戻れる日が来るのではないかとよく空想していたものです。

昨今の虐待事件などを見ると私の境遇などは全然たいしたことはないのかもしれません。

それでも私は父に怯えながら毎日を過ごしていた幼い自分を可哀想だと思っています。

父親らしいことなどしてもらったことがなく、ただただ怖かった父が亡くなっても私は悲しくないだろう、と思っていました。

病院で父の死を告げられた時には自然と涙が出ましたが、それが何を意味していたのかよくわかりません。

ずっと母を苦しめていた父の死にホッとしたのかもしれません。

ただ、きっと父はまだまだ生きていたかっただろうと思います。

お酒を飲んでいない時の父は、人付き合いが苦手で一人でいることが多かったのですが、多趣味な人でした。

お酒を飲んでいない時にはずっと難しい数学の本を読んでいたし、独学でずっとピアノを弾いていました。

家にはグランドピアノがありましたが、弾けるのは父だけ。

写真にも随分とハマっていたことがあり、家に暗室を作ってしまったくらい。

カメラのレンズなども相当高価なものがありますが、その価値が分かるのも父だけ。

数学、ピアノ、写真に関してはかなり深いところまで突き詰めていたと思います。

静かにそこに没頭する父が一転、お酒で変わってしまうのが本当に残念でした。

お酒がなければ父はただ物静かに数学に没頭し、気が向くとピアノを弾き、カメラをいじるおじさんだったのです。

亡くなる直前まで、ピアノも弾いていたし、カメラもいじっていたし、パソコンにもずいぶんハマっていたようでした。

まだまだ、そんな趣味を楽しみながら暮らしていたかったのだろう、と思います。

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そんな家庭に育った私ですが、自分の家庭はとても幸せで明るいものだと思っています。

父のような人とは絶対に結婚するまい!と誓ったことはありません。

父を豹変させたお酒を憎んでもいないし…(私はすごくお酒が飲めるしお酒が大好き)

幸せになりたい、と願ったこともありません。

ただ、思うのは子供のころの辛い経験があるからこそ、今の幸せがあるのではないか?ということです。

あれほど辛い子供時代を過ごしたのだから幸せになっても当然だろうと。 

もし、一生のうちで幸せを感じられる量が決まっているとするなら子供の頃の辛い経験を差し引いてもなお有り余る幸せを今感じているかもしれません。

子供達も「とんびが鷹を産んだ」とばかりに私の子にしては出来過ぎているし、旦那さんも私にはもったいないくらいの人です。

私達夫婦はとても仲良しで二人でいるととても楽しいのは、もうすぐ結婚30年になろうとした今でも変わりません。

どうしてこんな風に家庭に恵まれたのか…?

自分の家庭が反面教師となったのか?それは分かりません。

ただ私は普通の家庭がどんなものなのか、親と子供がどんな風に接するものなのかを知らずに、家庭を築きました。

家族はこうあるべきとか、親はこうあるべきとか、何も考えずにやってきて今こうして幸せに暮らしています。

でも、私は結婚して「幸せになった」のではなく、父に育てられたことで、ただ「幸せを感じられる」ようになっただけなのかもしれません。

なんてことはない私の今の生活を幸せだと感じられるのは、辛い子供時代があったからで、父のお陰なのではないかと・・・

「幸せ」などという実態のないものをつかもうとするのはとても難しい。

けれど、住む家があって美味しいご飯が食べられる、という普通のことに幸せを感じれらるように私を育ててくれたことに関して、私は父に感謝しければならないのかもしれません。

そう思うと父は私に素晴らしいものを遺してくれたのかもしれない。

私の子供はそんな風に当たり前のことに幸せを感じられるだろうか?

私の絵に描いたような幸せな家庭は子供達に「幸せ」というものをどう捉えさせたのだろうか?

子育てに正解はないけれど、今日の父の日、7月に国家試験を控えている長男は実家には戻らず 一人頑張って勉強しているようだし、次男は「久保田 ・萬壽」という高級なお酒を持って家に帰ってきてくれた。

やはり出来過ぎた息子達に感謝して、幸せを感じることしか私には出来ないのかもしれない(*'▽')